はちどりphoto

なくしたくない地域の大切なものを使ってフォトフレーム作り

Jun 10,2023

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「令和2年豪雨記念イベント
 メモリアル&くりえいてぃぶ フォトフレーム作り」

6月3日、令和2年7月4日に発災した大規模水害から丸3年がたとうというこのタイミングで
はちどりphoto主催のメモリアルイベントを企画しました。

スペシャルな木を使ったフォトフレーム作りです。


先生は、球磨川でリバーガイドをされている、Rebornの溝口隼平(みぞぐち じゅんぺい)さん。

開催地は、熊本県八代市坂本町の球磨川沿いにある、溝口さんの”荒瀬ベース”です。

参加者は、小学生1人、中学生1人、おじさん(画家)1人、おばさん(わたし)1人。
なんかもうおもしろそうでしょう。

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木を選ぶ


私たちが使う木にはどんな意味があるのかを話してもらってから始まりました。

それから、無数にある木々から、使いたい木材を探します。
色や風合いは様々。どれが好きかな?と心に聞きながら、
自分が作りたい大きさ、フレームの厚みを考えながら選びました。

「これはナントカ地区の○○さんのおうちからいただいた、サッシのとこだよ」
とか
「この木は△△さんのとこの娘さんが塗ったんだって。家に被害はなかったけど、危険地域になって住むのは難しいから解体することにされたんですよ」

隼平さんが一つ一つ教えてくれます。

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木を選ぶのに時間がかかります


測って切って、やすって、角度を揃えていくのですが、
難しかったのは
それぞれの木の幅に合わせて、角がうまく90度になるようにすること。

計算したはずなのにピシャリの角度で削れなかったり
木がまっすぐとも限らないので微妙にずれたり。

でも目の前のことに集中して無我夢中の時間もいいものです。

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隼平さんに教わってカット!
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好きな木を切ってやする
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木の幅、厚みを調整中


隼平さんのところにはあらゆる機械があり、
「この木が使いたい」「これ、困った」と隼平さんに言えば知恵と技術を駆使して、さくさくっと解決に導いてくれます。

「せっかくだから好きなものを使って好きなものを作ってほしい」と手間を惜しまないでいてくれました。
「これは無理!」ってことがない。かっこいい!


驚いたことに、
山で切られて100年は経っているというのに、電ノコで切ったら香りがするんです。木によっていろんな香りがあり、強弱もさまざま。

生きてると感じた瞬間でした。


被災地と呼ばれるところにある資源、
どの地域にもある資源。素晴らしいです。

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スペシャルな素材

【再利用させていただいたもの】
・フレーム
・ガラス
・裏板
・裏板留め具(被災した、隼平さん宅のシャッターww)
・掛けるための紐(球磨川で鮎の刺し網漁をするときに使っていたストック)


【再利用ではないもの】
・ねじ
・紐を通す部品(ビンテージにはなかなかなさそうな部品)
・塗料(わたしは、柿渋とミツロウを選びました)

このように、ほとんど再利用させていただいたものです。
貪欲なまでに再利用。
心地よい〜!

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裏板留め具は、被災した荒瀬ベースのシャッターを切って加工
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あゆの刺し網漁の網を補修するための紐
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ガラスもサイズを合わせて切ります。大事な資源!

なんでメモリアル?


実は、わたしがどうしてもやりたかった、フォトフレームづくり。
せっかくだから、私1人ではもったいないので、メモリアルイベントにして人を巻き込んでやっちゃおう!というのが企画の始まりです。

もうすぐ発災から丸3年を迎える、令和2年九州豪雨水害は
2020年7月4日未明に発災しました。

わたしは翌5日に人吉市に入り、現場取材を開始しました。

それから、週に何度も被災した地域に通うことになります。

坂本町は、普段通る道は寸断され、あちこちの橋は流され、行くのは簡単ではありませんでした。山を越えて、集落を通り抜けたくとも、ナビは使えません。

氾濫した球磨川沿いの道は崩れ、取材で行った時には坂本町内での移動も、地元の人だけが知っているような山道を通ることになりました。

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泥だらけになりながらの取材、
取材の合間に手伝うこともあったけれど、役に立たない自分が悔しかった。

「今じゃない。わたしが役に立てるのは今じゃないんだ」って唇を噛みました。

大きな人吉に比べると、アクセスの難しさもあって坂本に入るボランティアは数が少なかったけれど、地元の人もボランティアの方も
暑い中の力仕事、みなさんパワフルに働いておられました。

コロナ禍で熊本県人が助け合うしかないということもあり、ペースは他の災害に比べてスローです。
でも地元の方から不満を聞いたことはありませんでした。
「うちにまで来てくれて…」って言う人ばかりでした。

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発災から2ヶ月半の坂本町

溝口隼平さん


坂本に行くたびに見かける、一際 笑顔の輝くおっちゃんがいました。
周りはどろどろしていても、
元気いっぱい、大きな声で話している。
それが溝口隼平さんです。

泥だらけになりながらチャリンコで駆け回っていることもあるし、
家の持ち主のおっちゃんと話していることもある。
坂本町で「隣のトトロ」でどんぐりを拾うめいちゃんのように歩く人がいたら、
それは必ずと言っていいほど隼平さんでした。

ご自身も大規模に被害を受けたとは分からないくらい明るい人です。

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赤いチャリでどこまでも!


そのときも今も、誰にでも敬語で、驚くほど腰が低い。

川を、川のある暮らしを、川に暮らす人々を、
とんでもなく愛しているような
おもしろがっているような、そんな人。

失いたくない、地域の大切なもの

泥汚れは厄介で、拭いても拭いてもざらつきが残るし、タオルが無限にいるし、水がふんだんにない場合は洗うのも一苦労。
捨てちゃったほうが手がかからないから、「もういいや」ってなるのも分かる気がします。

被災した家屋を、がしゃんがしゃん壊している様子を見て、
隼平さんは「待って待って待ってー!!」となったそうです。

「地域の、失ったらイヤなものを継承して使い続けたい」と
被災した人々が大切にしていた、被災した家やモノを大切にしようと決めたんだそうです。

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発災から20日後の坂本町のある地区にて


隼平さんは、ボランティアさんや地域の人たちと一緒に、一つ一つ丁寧に取り外し、洗浄していました。

今、隼平さんの荒瀬ベースの大部分に、2年以上乾かしたそれらが置かれています。そしてこうしてわたしたちにも少し分けていただきフレームに変身しました。

「木材は、おそらく樹齢数十年のもの。伐採した後も、数年寝かせて乾燥させていた。それがまた家の一部になって何十年も使われて、被災した後は2年以上ここで乾かしている。ものすごい木を僕たちは使わせてもらってるんですよ」

「ここにある木材は50人以上のボランティアのみなさんが関わっているものですよ。ありがたいです」

木を見ながら、隼平さんはキラっキラした目で言うんです。

隼平さんの言葉のおかげで、木々の価値を強く強く感じられました。

受け継ぐカタチがフォトフレーム


フォトフレーム作りを終えて、お礼を言う私たちに隼平さんは言いました。

「あの木材をシェア出来るという喜びと、そのお手伝いに対価をいただけるというのがとても贅沢。引き継ぎ先でずっと大事にしてもらえますね」

どれだけ手間をかけ、時間を使っていても
家主さんから譲ってもらったもの、ボランティアさんのおかげ、という隼平さん。

その姿勢に学ぶばかりです。


わたしも

「受け継がせていただきます」

そんな気持ちで作らせていただきました。

こんなフレームができて本当に嬉しい。
喜びは、自分だけで終わらないってことが、無限の価値を生んでくれます。

思い思いのフレームが仕上がり、大満足の21時。

シンプルそうに見えてめっちゃめちゃ難しかったです。
その難しいのが、おもしろかった。
お手軽な感じはこの木々にそぐわないかもしれないな。

オンリーワンのスペシャルなフォトフレーム、大切な写真を飾ります。

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次の写真展で、これを使って展示します(いつだろう笑)

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大好きなお友達との写真を(雑にw)入れた様子

隼平さん・Rebornのことが分かる動画はこちら☟

https://youtube.com/watch?v=heEYyPQpDzg%3Frel%3D0