


「ガザの声を聴け!」という本について
ご紹介した反響がちらりちらりと聞こえてきています
すぐに本を読んでくれたとか
図書館においてもらうように熱烈に申請したとか
嬉しい
とっても嬉しいです
パリでのテロにはものすごい反応を示すのに
アフガニスタンでここ数週間のうちに起こったテロに 反応している人を私は知らない
パレスチナのことは なんかずっとモメてるけど宗教間で大変ね
って感じで 知るチャンスは自分から動かなきゃ巡ってこない
そんな現実がわたしにもわたしの周りにもあって
そりゃ実生活に関係がなければ仕方がないとも思うし
毎日色々事件がある中でどんどん風化していきます
人種がごっちゃごちゃな世界にいると
外国人が2%という日本は
どこか鎖国感がある気がしてきました
これでは余計に他人事になるのも仕方がない
だから
1人でも2人でも胸に響いて「知ろう」と行動に出てくれたなら
それはものすごく価値があるし本当に嬉しいんです
私の目的はゼロからイチにすることなんだなと最近気がつきましたので余計に。
ってこととヨルダンシックになっていることもあり
ヨルダンでのお話を。
ヨルダン最終日 訪れたパレスチナ人難民キャンプ。
キャンプと言っても70年以上の歴史があり
テントや仮設住宅っぽくはなく完全に町でした
教えていただいた人から
「行ってもそれと分からないかもしれない」
と聞いていました
確かに分かりませんでした
「ここで合ってる?」と何度思ったか
でも錆びきったゲートをくぐると
私がヨルダンで見た他の町とは雰囲気が違いました
そもそもそんなに清潔感のある国ではないですが←
ゴミの散らばり方や
建物の様子
人の視線
わかりやすくいうと悲壮感があるように見えました
ここは生活空間だし
どこからどう見ても外国人な私ですので
「興味本位で来るな」
と言われてもおかしくないと思っていました
でも怒られるのはやなので←
ジロジロ見られつつも気にしない素ぶりで
小さな商店でお菓子を買って
そのお店で休憩させてもらいながらお話ができました
もう45年住んでるというおじちゃん
歯がほとんどありませんでした
「ここにいるのはみんなパレスチナ人だよ。安全だからここにいれてよかった」
と言ってコーヒーを振舞ってくれました
話を聞いている途中で
お化粧をバリッとしておしゃれをした女の子も通りました
*****
休憩した後 町を少し歩かせてもらいました
街の様子は、生活が厳しいと想像できるには十分でした
ヨルダンは茶色い国です
家も風景もおうど色
あれもこれもみんなおうど色
ここの家々も同じおうど色にかわりはないのに
なぜか色がないような
そんなイメージでした
Uberタクシーを呼び 通りで待っていると
どこからともなくおじさんが現れ
目の前のジュース屋さんで私たちに2つジュースを買ってくれました
そのおおじさんは40年暮らしているそうです
「ヨルダンは…うん、まぁいいね。安全だから。生活は大変だけど」
みたいなことを言っていました
とか話してる時に
立ってタクシーを待っていたところの隣の車の整備場の親子が
椅子を持ってきてくれました
整備場の中では
おじさんが お祈りを始めていました
親切さがカオス状態で
ここでもどこでも
この民族の優しさを感じるのでした
*****
界隈にいる間、お金を乞う人もきました
町を見てます
人の様子を見てます
人々の経済状況、失業率、物価の高さ、福祉の足りなさを少しは知っています
お金は出さないと決めているけど
ここだけは考えました
今渡す1JDが役にたつかもしれない、と
その上これだけ親切にしてもらっていて
この地域に還元しなきゃ、という気持ちもありました
あの時わたしはお金を差し出さなかったけど
今も自分にとっての正解が見つかりません

きっとお母さんは私と同じくらいの歳。
ここで聞いた「安全だから」という言葉。
安全と引き換えに
と生活の不自由さや暮らしの厳しさを
受け入れておられるかもしれません
戦争や迫害の恐ろしさを知っているからこそ
安全であることの価値をご存知なのでしょう
でも
何もこの人たちのせいじゃない
逃げてこなければならなかったのも
安全ではあるけど生活が苦しいのも
安全だから貧困に苦しむのは仕方がない、で済ませちゃいけない
業種によってはヨルダン人はあまり従事せず
パレスチナ人やシリア人が多く担うものもあります
特に体を使うようなもの
どうしたって国内格差はあります
良し悪しで判断するものではなく
ただ
誰もが豊かに健康にいれる社会をつくりたいと願うだけです。